ゆりかごの中はきっとこんな感じ

しばらくお休みをとれたので、この五日間はおばぁちゃん家で過ごした。移動時間が5時間超かかるので、実質は三日間。


おばぁちゃん家では、毎度のことながら、まったりに負けてしまう。朝から夜までつきっぱなしのテレビとこたつ、お茶飲みながらゆっくり話す。それだけで一日があっというまに過ぎる。夕方になるとご飯の準備。
何も焦らない。


おばぁちゃんの話すことは大体同じ。
何度伝えても忘れてしまうことが多くなっていく一方で、繰り返しねじがまかれる物語は、濃縮され、動かしがたい歴史となる。


もう何十年も使い込まれたこの家は、まったくくたびれた感じがない。それはおばぁちゃんの几帳面な整理整頓のおかげ。わたしにも、こんな風に長い間ひとつの場所を守り続ける力、手入れする力が身についていくんだろうか、生きてゆくうちに。


姫女中(ふざけてわたしのことをこう呼ぶ)がおらんくなったら、またこの広い家に一人だわー
こっちで勤めればいいのに

って、昨晩から言われるたびに、笑って、また遊びに来るね、と言うしかできない。


わたしはここに安心を得にくるけれど、おばぁちゃんの寂しみを受け止めることはできない。勝手だね、ほんとうに。

(しみじみと過ぎたことを書き言葉で振り返ると、いつも暗い心理描写になる……しかし、現実には、満ち足りたなまけたろうの五日間だった!)

年に四回は必ず、帰って来てあげられるようにしよう。ご飯のレパートリーも増やそう。



もうすぐ汽車の時間。

頭ん中が静か

昨日から、頭の中が静かで、外界からの刺激に無反応で怖い。シナプス休憩中なのかな。
読んだもの見たものが食べ物みたいにはいってくるけど、いったいどんな栄養素として私の中で変換され吸収されたのか実感わかない。

ただの、眠りすぎなのかも。

努力の分量が足りていない!て焦る時に必ず見る悪夢があって、その悪夢を見るときは、いつも眠りすぎてしまう。(半日くらい…)矛盾だらけ。




木曜日におとうとを観て、じんわりじんわり泣いた。
好きと嫌いが区切れない、何よりも濃い血の結び付き、というのが気持ち良く描かれていた。
(それから、あおいゆうとかせりょうのやり取りに、いちいちキュン死にしました。雪の夜の場面がね!!もうもう!)

とても丁寧に計算されている場の演出と、役者さんの台詞の言い回しが心地よかった。

日本家屋の造りとそこで育つことで身につく作法が印象的に取り入れられていた。
勢いよく閉じられた襖が反動で少し開き、部屋の明かりが廊下に一筋漏れている様子、暖簾の柔らかく空間を区切る感じ。

見終わった後、
一昔前の日本映画に描かれる身体作法を知りたいなーとおもって
市川・黒澤・小津監督の映画を借りてみた。

市川監督は、もちろん『おとうと』。幸田文の原作もあわせて読もう。

心は不規則メトロノーム

こんなに一人でいるのが好きすぎてどうしよう。と、時々おもう。
社会人になり、一人暮らしを始めたら、元来の一人好きがめきめきと芽を出し、完全に巣をつくった。


わたしを覆う巣は
かいじゅうたちのいるところ(映画)の前半で、かいじゅうたちがひとりひとりの、閉じこもり型の家をもっている、まさしくあんな感じ。(あの家はすぐに壊されちゃった)

ああいう固まりって、体に馴染んでくると、あったかくて外に出られなくなるんだよね。


長い時間、会社でいーーろんなタイプの人間がごちゃまぜしている空間で、労働者らしい振る舞いをしている。
まとわりつく人間の気配の組み合わせがアンバランスなの、酔う。なるべく余計なもの吸い込まないように、吐き出さないように、段々呼吸が浅くなる。

会社で人間にまみれている分、反動で、たまらなく一人でいたくたっていいじゃない!と平然と主張したい。

一方で、こんな自分は、動物として備わるべき性質が足りないなぁ、ともおもう。
群れないと、リスク分散できないこと、あるし。

あとね、かいじゅうたちみたいに、重なりあって、呼吸音に包まれて、おやすみ・おやすみ・おやすみ を言いながら眠るのにも憧れるんだよね。
まったく勝手な振れ幅です。

この振れ幅で、周りを無為にかきまぜないようにしたくて、何事からも、大きく後ろに一歩引く。
触れ幅を否定されないための、保身。
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